十二縁起〔十二因縁〕について

お大師様は般若心経秘鍵の中で「行行〔ぎょうぎょう〕として円寂に至り、去去〔ここ〕として原初に入る。三界は客舎の如し。一心はこれ本居なり。」と述べられています。

つまり人は逝き行きて涅槃の境地に入り、また立ち帰っていのちの原点に入る。果てしなく生と死を繰り返す中、永遠の命を生きている私達にとって、人間の姿をとっているのはちようどホテルに宿をとっているようなものである。いずれ旅立つことになる。それを世間では死と云うが、本源の命に帰るだけ
のことであるという意味です。

また、秘蔵宝鑰という著書には「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」と書かれています。人間は生死輪廻を繰り返していて無常であるということを如実に著しておられます。

人は自分の死後も生まれる前の世界もわかりません。わからないから無明であり、暗くて避けることができない宿命的なものなのです。

だからこそ十二因縁を考察することが大切さであり、今ある命を大切に精一杯生きることによって良い輪廻が来ると思うのです。

仏教では人間は母親の胎内から生まれ、生をまっとうして死に至るまでの間を十二の行程に分けて説いています。これを十二因縁又は十二縁起と言い、重要視されます。お釈迦様が悟りを開いて仏陀になることができたのは、
この縁起の道理を探求された為と云われています。


人間の苦しみ〔悩み〕がいかに成立するかを考察し、その原因を追究して「縁起の法」として次の十二の項目に分けています。根本仏教の最も基礎的な教義で、もと阿含経典に説かれたものです。
@無明 煩悩のこと。 人間が過去の世界で起こした一切の煩悩のこと。
A行 潜在的形成力 人間が過去の世界で起こした煩悩の為に様々な
業をつくってきた身心のこと。善悪の行為。
B識 識別作用 過去世の煩悩と業によって、この世の母親の胎内で
生を受ける最初の心。最初の一念。
C名色 肉体と精神 受胎してから四週間までの間。
母体の中で心身が発育する過程。
D六処  〔六入〕 眼、耳、鼻、舌、
身、意の感覚
受胎して五週間目、出産するまでの三十四週間の間。
六根が発達して胎内で盛んに動きだすようになる姿。
E触 接触 生まれてから二、三歳までの間。
苦楽を感じることなく物に触れる時期。
F受 意識や接触から
生じる苦楽
四、五歳から十四、十五才までの間。
苦楽を識別し、比較的外からの様々なことを受け入れる。
G愛 妄執 十五、十六歳から青年時代。
物質的欲求が激しく、性欲もあり愛する心情が生まれる。
H取 執着 二十五、二十六歳から五十歳位までの時代。色欲、物欲
名誉欲すべて旺盛で生涯の中で煩悩が一番強い。
I有 生存 生存によって欲望やそれに執着することから未来に再び
生まれ出る結果が定まること。ここまで積み重ねてきた
業の為に未来の果報を有すること。
J生 この世に生まれ
ること
生は現在の業の結果として、未来に生まれることをいう。
K老死 老いて死ぬこと 老衰してやがて死んで行き、未来世に生まれる。
人間は苦の世界から抜け出す方法として、生まれた原因は前世の「有」による。その「有」は「取」によるものであり、順次さかのぼれば「無明」に始まることとなる。そこで人間は「無明」の煩悩を断ち切る為に修行をしなければならないという。

「無明」がなくなれば「行」もなくなり、行がなくなれば「識」もなくなるというふうに「老死」まで順次なくなるという悟りの方程式ができることになります。
仏教の基本的考え方として、人間は業を背負っていて永遠に「生老病死」を繰り返します。

因果応報」という考えも十二因縁からきています。必ず原因によって良い悪いの結果が現れると説きます。この世で悪いことをして、現在はりっぱに生活していても、未来では悪果となって応報してあらわれるのは必然であるという考えです。勿論、その逆に善行をすると未来では必ず幸せになれるということです。


倶舎論第九には十二縁起について四つの解釈をあげています。〔法蔵館、仏教学辞典〕

@刹那縁起・・・一刹那の心の中に十二支が備わっているとして、例えばむさぼりの心から殺生しようとする瞬間の心についていえば、その一刹那の心に愚痴があるのが無明、殺そうと意志したのが行、というふうになります。

A連縛縁起・・・この十二支がたえまなく連鎖して前因後果の関係を為すのを云います。

B分位縁起・・・三世両重の因果による胎生学的な解釈で、十二の支分は有情が生死に流転する過程におけるそれぞれの位態を示すとなすものです。

C遠続縁起・・・はるかに生を隔てて十二支が継続して縁起することを云います。