何故、葬式をするのか

三ヶ月程前のことです。知り合いの葬儀屋さんから頼まれて葬式をしました。
予算がないとのことで、枕経も通夜もなしで当日の式だけということでした。

火葬場も行かなくてよいとのことでしたが、余りにも故人がかわいそうなのと
身内の方に対して不信感みたいなものが湧いてきたものですから、火葬場へ
行くことと、布施はいらないので初七日をさせてほしいと式の前に頼みました。

勿論、布施がいらないならということで了解してもらいました。そして初七日の法要
の後、約十五分余りお葬式の意義や仏事の大切さをお話しさせて頂いたのです。

このお葬式の故人は八十五歳になるおばぁちやんで、都会から来られてこちらの
老人ホームへ入園し、そのまま亡くなられたのです。

喪主の方は五十才半ばの次男の息子さんで、その方の家族三人と長男の方と
合わせて五人というさびしいものでしたが、人数ではなく簡単に済ませようと
いう姿勢がありありで、儀礼的なものを仕方なくやっているという感じでした。

葬式の時は五人全員おられたのですが、初七日の法要はたった二人と更に寂しい
ものになりました。逮夜参りどころか、おそらくこの葬式が終われば何も供養しない
というような雰囲気がありありです。

私の稚拙な法話ながら、熱意を持って話をすればわかってもらえると思っていた
のですが、施主様の心にある仏性を目覚めさすことはできませんでした。そんな
残念な思いもあって、ここに私の考えを記します。

葬儀の始めは先ずお通夜です。身近な人々が集まり、亡き人を偲び、その故人の
生前の生き方を語り合うのが本来の姿です.

また葬儀は故人との別れを惜しむ厳粛な儀式です.人生最後の瞬間を、肉親に
見守られて成仏したいという願望と、残されたものたちのもう一度生き返って
ほしいという願望が、その根底に秘められた決別の儀式です.

去って行く人の気持ちを考える時、自分自身の肉体が亡くなっても霊魂だけは、
愛してくれている人達の心の中でいつまでも生きつづけたいと願っています.

そのような願いを実現し、送る私達の心の中に、故人が生まれ変わる儀式でも
あります。ですから故人の為だけでなく、遺族の為の儀式でもあるのです。

私達は生まれた時と死んだ時は自分でできないことが一つあります。それは
出生届けと死亡届けを自分で出すことが不可能であるということです。

当然、葬儀も自分で出せません.誰かの世話になっています。ですからその
恩義を返す意味でも、葬儀をしてあげる義務があるのです。

そして葬儀の大きな意義は生きている自分の生を見つめ直し、生かされている
尊さに気付かせてくれる儀式であり、故人への思いを整理して心の中に再生する
儀式でもあるのです。

葬式はどちらかといえば送る側〔遺族〕の為のものであり、儀式的なセレモニーの
要素が強く、故人へのほんとうの供養は初七日以降の逮夜からです。
特に初七日と四十九日法要が重要であることは言うまでもありません。


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