阿字観はお釈迦様が菩提樹の下で瞑想され悟りを得たという仏教の
原点に辿りつきます。真言の禅であり、究極の瞑想法です。

密教の行法は、本尊を召喚してその本尊と行者が加持感応します。
そして入我我入して不二一体となるのが基本ですが、阿字観は
そうした奥義に近づき、精神集中を養う大事な方法の一つです。

プロの僧侶でもなかなかうまくできるものではなく、安らかな
境地を見出すのはほんとにわずかな人です。しかしながら毎日続け
て、自分なりに工夫してやって行くと上達して楽しみとなります。

自分自身の煩悩もまた菩薩の境地にほかならないとする密教の考え方を
一歩前進させ、宇宙と自分は一つであると実感するのが阿字観です。

ご存知の様に「阿字」は大日如来を表し、その大日如来の光を観じて
その大日如来の命と自分の命が一体であると観想するのです。

宇宙の命は元々一つで死んだとしてもなくなるものではない
というのが阿字本不生の考え方です。

阿字観は本尊の月輪を胸に入れ、胸の中に清浄な円(球)があり、
その中に金色の阿字があると観想します。

「清浄な自分の心に大日如来が姿を現し、やがて心と如来が一つ
になる。」と観想できるようになることが最終目標になります。

しばらくこの状態を維持できたら、静かに胸の本尊を掛け軸又は
阿字観の本尊としているところへ返してあげて観想を終えます。

お大師様は秘蔵宝鑰という書物の中で「近うして見難きは我が心、
細にして空に遍ずるは我が心なり」と云われています。つまり、
一番近くにあるはずの自分の心はなかなか見ることができない。

現代社会の出来事に一喜一憂する心は自分の迷える心であり、
本意ではないということです。複雑な密教の行法の中で、この
阿字観こそが自心を見ることのできる優れた行法であることは
云うまでもなく、大日如来の生命は三世十方にわたり、自身より
一切を生み出し、一切のものを自身の中に帰していくのです。

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