「暮らしの中の合掌」

最近は核家族化の影響もあり、家族そろって食事をする家庭が少なくなっている
ようです。また子供も塾や習い事など忙しく、一人で食事をするのが当たり前となり
それぞれ家族がバラバラと食事を取っている家庭もあるようです。

私は小さい時から必ず子供に「いただきます」は勿論の事、「手を合わせて合掌
しなさいよ」と言ってきました。そんな子供も、上の子はもう高校生になり、
ためらいと照れもあるのか、いいかげんに済ましていることもあります。

そんな時は注意せず、私が食べる時にわざと大きな動作で「いただきます」という
ようにしています。すると次からは意識して、瞬間的にしているようです。

何処かのコマーシャルにもありましたが、手の平のしわと手の平のしわを合わせる
ので「しあわせ」と言い、その反対に手の甲と甲を合わせると、指のフシとフシが
合わさるので、「ふしあわせ」と言って語呂合わせを言ったりしています。

でも、手を胸の前で合わせるとほんとうに落ち着き、しあわせな気分になります。
まさに合掌は理論や理屈ではなく、人間らしい自然の姿ではないでしょうか。

仏教に限らず、神道やキリスト教などほとんどの宗教は合掌します。それが感謝の
気持ちであり、誓いや祈りの原点でもあるのです。

ある学校の先生が、「合掌は宗教的儀礼ですので、強制はできません。」という
ような事をおっしゃっているのを聞きました。確かに宗教的儀礼と言われると
その通りです。しかしながら宗教を離れたところでも無意識にしているものです。

特に食事の時の「いただきます」「ごちそうさま」は多くの生命に支えられ生かして
いただいている感謝の気持ちなのです。その気持ちの表れが宗教に関係なく
合掌であると思うのです。

現代の殺伐とした社会にあって、合掌を親や教師が宗教的儀礼と捉えるのでは
なく、道徳教育の一環として徹底的に小さい時から子供に教えることが大事です。

太陽、空気、水、土など自然の恵みがあって、米や肉、野菜など「生命」が作り出さ
れるのです。そうした恩恵を忘れている若者が増えていることに危惧します。

今こそ、合掌の心を生活の中に生かしていかなければならないと思います。

インドの人は、必ず「ナマステ」と言って合掌するのが挨拶になっています。
合掌して挨拶してもらうと、なぜかありがたくしあわせな気持ちになります。

私たち日本人は、挨拶の時などにする合掌は照れやためらいがあってなかなか
できるものではありません。しかし合掌はしなくても、頭を下げて礼を尽くすことで
気持ちは伝わると思います。

毎日の生活の中で、挨拶では難しいですが、食事の前後ぐらいは合掌する習慣が
定着すれば、すばらしい思いやりの人間関係が育つと確信する次第です。

                                       合掌 知憲。

  


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