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般若心経の心〔7〕

いよいよ終わりに近づいてきました。最初に心経の最後の方から入りましたので、「あれっ」と思われた
方には申し訳ありません。

般若〔智慧〕の章の四になります。

「以無所得故、菩提薩捶、依般若波羅蜜多故、心無圭礙、無圭礙故無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、
究竟涅槃、三世諸仏依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。」


「菩提薩捶は般若波羅蜜多に依るが故に心にこだわりが無い。心にこだわりがないから恐怖がないのです。
すべての間違った夢想から遠く離れたら永遠なる涅槃です。過去、現在、未来に出現した仏様方もこの
般若波羅蜜多に依ったが故に、至上の完全な正しい悟りを得られたのです。 」

わかりやすく言えば般若の功徳について述べています。要するに般若波羅蜜多の修行をすると心が洗われ
てこだわりがなくなり、恐怖心もなくなる。夢想から離れると悟りの世界へ行ける。

三世の仏様方もそれをよりどころとして最高の覚りを得られたというのです。


私はよく法事などで「私達は誰でも心に仏性を持っています。それを大きく育てることによって仏様に近づく
ことができます。」と言ってきました。

法縁などを生かし、自分の仏性を再確認してそれを育てる努力が必要なのです。お釈迦様も「人は生まれに
よって聖者となるのではない。その行為によって聖者となるのである。」と云われています。
つまり誰でも正しい行いをすれば仏になることができると説かれています。

般若心経にはお釈迦様のすばらしい教えと仏教の真髄があります。先の章で
説明したように私たちが幸せになるのも、不幸せになるのもすべて自分の業〔行為〕によります。そして因縁によって輪廻しているのです。

私達は幸せの時にはこうしたことを考えることも少ないと思います。病気になったり貧乏になったり、
逆境になったりと、何か不幸にあうことにより生かして頂いていることに心から感謝するようになる人が
多いようです。

「今日一日生かして頂いた。有難い。」と感謝することから正道の第一歩が始まると思うのです。

私のところでもう六年余り護摩を焚かれている、Aさんという方がおられますジキン病という悪性リンパ腫で
入院されていました。抗がん剤で治療されていたのですが、医者からは治る可能性は少ないと云われて
いたようです。極度に痩せて行く姿を見て、知人の方がたまらなくなり私のところへ相談に来られたのです。
とはいうものの当時私はまだ僧侶になって日が浅く、話を聞いて祈願の護摩を焚くぐらいしかできませんでした。

知人にAさんについて知っている限りの情報を教えてもらい、その日のうちに病気平癒の祈願護摩を焚きました。

私の未熟な護摩のせいか、特にその日は良く煙っていたように思います。護摩が終わった後、釜が冷める
まで待っていただき、その護摩の灰を小さな袋に詰めて御守袋の中に入れたものをお渡ししました。

そして「本人の枕元にその御守をしのばせて下さい」と言って別れたのです。また、最低半年は毎月続けて
焚かれることをお勧めしました。

その後何度か知人の方とお話したのですが、病気はそんなに変わるわけでもなく一進一退のようでした。
ただ、体重の減るのは偶然か止まったようです。

それから四ヵ月ぐらいたったでしょうか、久しぶりに電話がかかってきました。何とか退院されるまでに回復
したという吉報でした。

「ありがとうございます。」と言われるものですから、私は「病院の治療が効いたのと、本人の強い気持ちが
病気に勝ったのですよ」と言いながら、内心ホッとした気持ちになったのを最近のことのように覚えています。

数日後、知人と一緒にお参りに来られ、「これほど健康の有難さと人のあたたかさを思い知らされたことは
ありません。病気が回復したのも、自分が頑張れたのもすべて仏様や周りの人のおかげです」とおっしゃるのです。驚きました。

知人に聞くと、病気になるまでは全く信心とは無縁の人だったそうです。病気になられたことで、
素直に心から自分が生かされていると実感されたからこそ、こうした言葉が自然に出てきたように思います。

その後Aさんは六年余り毎月欠かさず護摩を焚いておられます。そうすることが「自分にできる感謝の
気持ちであり、心が落ち着くんです」と・・・。

そしてまだ仏壇はないのですが、私の差し上げた祈願札に向かって「般若心経」を毎朝唱えるのが日課と
なって、「自分にできる行」を続けておられます。
   
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