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 若心経の心〔8〕

今まで心経を約四つの章に分けて、私の拙い解釈と体験したことを書いてきました。部分的なところもあり、
全体としてわかりにくかったと思います。最後に全体の簡単な要約と心経の心に触れて終わらせて頂きます。

般若心経は仏様の偉大な智恵で悟りへ導く仏教の真髄を説いた教典です。観音様は覚りを求めて
波羅蜜多の修行され様々な悩みや苦しみから解き放たれて仏になられました。

舎利子よ、欲望を抱くことは空しく、空しさは即ち欲望を抱くことです。舎利子よ、すべての存在は実体が
ない。これらの諸法も空相であり、意識や感覚もない。従って迷いがなければ、迷いが無くなることもない。

老と死もなければ、老と死が無くなることもない。苦しみも覚りを得ることも同じことであり、もとから得る
ところがないからです。

仏様方は安住の世界におられるので心にとらわれがない。妄想から遠く離れているから常に心がやすらぎ、
悟りの世界に入ることができたのです。

ですからほんとうの幸せに至るには、神聖で偉大なこの上なくすばらしい次の言葉〔真言〕を知るべきなのです。

「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボウジソワカ」以上が般若心経の
全体的な意味です。かなり簡約してしまいました。

一般的には「色即是空」、「空即是色」に代表されるように、あらゆるものは空であるという思想になります。
その空はとらわれのない心を表します。

そして「波羅蜜多」の行を実践することによって真実の心のやすらぎを得ることができると云われているのです。

私たちはやがて寿命が尽きると死んで行きます。その肉体は火葬されて骨となり、埋葬されて分子が分解
して土にかえります。でも元の原子はそのままです。

私達を構成している元になるものは永遠に存在するのです。それが五元素と呼ばれる「地、水、火、風、空」
なのです。

まさに五元素が「空」であるなら「色」は私達人間であり肉体といえます。肉体はなくなるのではなく分解して
元の姿に還って行くだけなのです。

こうした自然の摂理と循環の中にあって、あらゆる存在の尊さに気がつくことが肝心です。そしてそれに
よって「空」の意味もおぼろげながらわかってくると思うのです。

また、存在の尊さを知ると自然に感謝の念が生まれます。自分が一人ではなく、周りのものによって
生かされていると感じるようになってくるのです。

最近は少年犯罪が多くなりました。その犯罪も低年齢化して凶悪なものが増えています。つい先日も
長崎県の佐世保であったばかりです。

何が起因するのかわかりませんが、はっきりと言えるのは自己中心的で他人を思いやる気持ちと抑制力が
欠如した未熟な心であったと言わざるをえません。

又、それを育てる社会や環境〔家庭〕が整っていなかったとも云えます。

経済の発達とともに物質的な豊かさは目を見張るものがあります。それに比例して人間の欲望もとどまる
ことを知りません。そうした結果少しずつ心がおかしくなってきたのです。そして心が空洞化してきているの
です。本来人間の持っている心を失いかけているのです。

お釈迦様が云われたように「足るを知る」精神が必要です。物に対して少欲を実践して心を豊かに保つ努力
をしていかなければなりません。

お釈迦様の時代から大きく現代社会は変化しています。しかしながら基本的な人間の苦しみや悩みは変わ
らないのです。般若心経に説かれたすばらしい教えを現代に生かさなければ申し訳ないと思います。

心経の最後にある「ギャテイ、ギャテイ・・・・・・。」にはその願いが込められています。「行こう。行こう。
真実の世界へ行こう。みんなで一緒に悟りの世界へ行こう。」そして幸せになろう。

みんなでで幸せになるのが大乗仏教の原点であり、そこに般若心経の知恵があるのです。
   
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